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mizuko
Inscrit le: 16 Avr 2006 Messages: 14872 Localisation: tokyo
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mutsumi
Inscrit le: 27 Oct 2011 Messages: 39
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mutsumi
Inscrit le: 27 Oct 2011 Messages: 39
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Posté le: Ven Nov 04, 2011 10:22 am Sujet du message: |
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昨日のキャストは、ウルド・ブラーム/マニュネ/エケ。
キャスト変更前の第3キャストで、この3人で舞台で踊るのは初めてになります。
昨日はエケがとてもすばらしかったと思います。
正確なテクニックで、彼女の初日同様いい感じと思っていたら、2幕ダジェと火花を散らしてからスイッチが入ったように輝き出しました。
1日目にも感じたのですが、エケのヌレッダの解釈はすっと心に入ってくる感じがします。
昨日は初めて上方階から観たのですが、照明の印象が変わりました。
”暗い”という評が出たのにうなずけました。
一番初めの夜明け前のシーンは、1階から見るのに比べ、上から見ると暗いです。ただ、”夜明け前”という設定はより感じ取りやすいと言えるでしょう。その後1幕中盤位までは、上方から吊るしてある緞帳とロープが舞台上のところどころに影を落としているのが見えてしまうため、それが暗く感じさせる要因のように思いました。
ただ、上から見るフォーメーションはとても興味深いです。上方階からしか見えない醍醐味でしょう。
また、全体を見渡せるので、今舞台上で誰が何をやっているのか、見逃がしにくくなります。”目が8つ欲しい!”と思う場面があるので、値段のことも考えると、上方階からの鑑賞も捨てがたい魅力があります。
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chien en peluche
Inscrit le: 29 Oct 2011 Messages: 1884
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Posté le: Ven Nov 04, 2011 6:58 pm Sujet du message: |
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La Sourceについての、照明の効果と、座席による明るさ、舞台の見え方の違いは、『天井桟敷の人々』の時は、(私の体験に限って言えば)逆でした。
私は、基本的には、一等席で、正面から見ていたのですが、『天井桟敷の人々』は、舞台の上に更に、劇中劇の舞台を作ったりするため、(ご存じの方も多いと思いますが、ガルニエ宮の舞台は、元々、かなり、奥が深いですが)、その舞台の深さを存分に利用していたため、正面席からでは、(場面にも依りますが)奥の方の仕掛けや、そこでの登場人物の動きが、明かりが十分ではないため、見づらかったです。オペラグラスを忘れたのも一因でしょう。
一回だけ、渡仏してから、窓口で4階(日本式で言えば5階)の脇の桟敷を買い足しました。最前列でしたから、第2幕のスカルラティ・パ・ドゥ・ドゥのコーダの部分での、パケットの回転技だけは見えませんでしたが、殆ど、見切りはありませんでした。既に、書きましたが、オーケストラボックスの明かりのお蔭で、正面席からは見えなかった登場人物の動きや、舞台装置の仕組みなどがよく見えました。ただ、2階(3階)や、3階(4階)の桟敷とは異なり、天井が低くなっていて、桟敷そのものの深さがない上、真下に平戸間特等席(オルケストル)の座席を見下ろす形になるので、舞台に夢中になって乗り出していると、うっかりしたら、本当に、真っ逆さまに落ちそうで、少し、怖かったです。てすりにしがみついていました。ですから、高所恐怖症の方にはお勧め出来ません。
mutsumiさま、「目が八つ欲しい。」と言うお気持ち、よく分かります。『天井桟敷の人々』の時は、私は、16くらい欲しかったです(笑)。La Sourceも、ソリストと豪華な群舞を贅沢に配置した舞台だったのだろう、と、想像されます。
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mutsumi
Inscrit le: 27 Oct 2011 Messages: 39
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Posté le: Ven Nov 04, 2011 7:43 pm Sujet du message: |
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chien en pelucheさま
興味深いお話をありがとうございます。
『天井桟敷の人』は、正面からだと奥は照明が十分届かず暗くなり見えにくかったということになるのでしょうか?
作品によって席の場所と明るさの感じ具合に違いが出るのはおもしろいですね。
私は『天井桟敷の人々』は観たことはないのですが、写真を見ると、なるほど、「目が16くらい欲しい」と言われるお気持ち、分ります!
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mutsumi
Inscrit le: 27 Oct 2011 Messages: 39
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mutsumi
Inscrit le: 27 Oct 2011 Messages: 39
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mizuko
Inscrit le: 16 Avr 2006 Messages: 14872 Localisation: tokyo
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mutsumi
Inscrit le: 27 Oct 2011 Messages: 39
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Posté le: Dim Nov 06, 2011 12:44 am Sujet du message: |
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本日は10日ぶりのウルド・ブラーム/オファルト/ジュスペルギ。
随分時間があいてしまったのでどうなるか少し不安がありましたが、オファルトもジュスペルギもとても良くなっていて驚きました。
昨日のパケットも良く踊りこなせていましたが、本日のオファルトは、技術的にほぼ完璧だったのではないでしょうか。
あの難しいジェミルのヴァリアシオンを、今日以上に踊れる人がいるとは思えません。
ジュスペルギは、彼女の二日目もとても感動しましたが、今日はさらに輝いていました。
演技もよりクリアになり、分りやすくなったと感じました。
今まで、堅実なダンサーというイメージを持っていたのですが、今日は2幕は全身にダイヤモンドをまとっているように、きらきらと本当にまぶしかったです。
この作品を見るまでは、彼女がこんな踊りが出来るとは知りませんでした。
彼女の音楽性、役の解釈、表現力は、多くの人に知られるべきだと思います。
今日もう一人、とてもいいと思ったのは、モズドクのデュケンヌ。
シャイエ降板に伴いカーンから外れ、モズドクを踊る回数が増えてきたせいか、演技はもちろん、踊りも音楽を良く表現し、安定してきたように感じます。
もともと彼は第二キャストでジュスペルギと兄妹役だったと思いますが、この二人、背格好や雰囲気も似ているように思います。兄妹役に違和感がありません。
そして、彼のモズドクは、いつも妹を思い遣っているのが伝わってきます。
好戦的というキャラクターはそのままに、家族への愛情も表現した彼のパフォーマンスに、今日は心を奪われました。
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mutsumi
Inscrit le: 27 Oct 2011 Messages: 39
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chien en peluche
Inscrit le: 29 Oct 2011 Messages: 1884
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Posté le: Dim Nov 06, 2011 2:59 pm Sujet du message: |
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ズュスペルギーは、私も(mutsumiさまが書かれていた)「堅実な踊り手」と言うイメージがあります。コンテンポラリー作品の場合は、結構、存在感を放つと言う印象もあるのですが、物語のある全幕物では、今ひとつ、地味かな、と思わせられることが多かったです。ですから、今回、ヌレッダ役で華のあるダンスをしていた、と言うお話は、とても気を惹かれました。実際、彼女がきらきらした宝石を全身に身に纏って踊るシーンと言うのは、これまでのイメージで考えると、想像し難いです。
話がLa Sourceから逸れますが、『ジゼル』について、ちらっと書き込んだことですが――前半は、私が考えたことですが、「ミルタがジゼルの分身」と言うのは、以前、オペラ座のプログラムか何かに書かれていたことで、別に、私のオリジナルな発想ではありません。第2幕、ウィリーとして登場する彼女達は、「この世のものでない存在」になっている訳ですが、ひとりは、アルブレヒトを呪い殺そうとし、ひとりは、彼を守ろうとします。おそらく、男性の側からすれば、ひとりの女性が「天使」に見えたり、「悪魔」に見えたりするのでしょうね(笑)。
ちなみに、今回のLa Sourceに関しては、「妖精」は、寧ろ、「自然の力」を具現するものとして描かれている、と解釈して良いのでしょうか?「自然」が、時には、ひとに大いなる恵みを与える一方、他方では、ひとの力では超えられない「驚異」として存在する、という事実は、今回、(多かれ少なかれ)大きな震災を体験した日本人にとっては、身につまされる問題です。
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mutsumi
Inscrit le: 27 Oct 2011 Messages: 39
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Posté le: Dim Nov 06, 2011 6:38 pm Sujet du message: |
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ジュスペルギに関しては私も、キャスト発表の時点で、何で”美女”ヌレッダを彼女が?と思いました。chien en pelucheさまのおっしゃるように、普通の、どこにでもいる、心の優しい女の子の役だったら彼女が適役かなと思うのですが、ヌレッダは”美女”の設定です。
今回バールは各ダンサーに、自分の役の解釈をかなり任せているように感じます。
ナイラにしても三人とも、全く印象が違います。
ヌレッダにしても、シァラヴォラと、ジュスペルギ、エケでは、違う三人の女性を見ているようです。
シァラヴォラは、まさしく台本どおり、”美女”の設定でしょう。
ジュスペルギの場合は少し違うと感じます。
2幕はじめはヌレッダが、隣の帝国に新妃として迎えられ、彼女のためにカーンがあつらえた、無数の宝石をちりばめたティアラと胸元にたくさんのダイヤを配した衣装に着替え、他の愛妾や一緒に来た同郷のコーカサスの人達の前で、誇らしげに、自信に満ちたダンスを披露する場面です。
どこにでもいるちょっとかわいい子が、大きな宮殿に連れてこられて高価な装飾品で飾ってもらって、それまでいる愛妾達の上に立つことになり、強くて頼れる兄と親戚一同が背後で見守ってくれていたとしたら、ジュスペルギのヌレッダのようになるのではないかと想像します。
普通の女の子が、蝶が羽化するように、あるいは、バラのつぼみが徐々にほどけ大輪の花を開くように、どんどんきれいになってゆく。その変化を目の当たりにする醍醐味とでも言いましょうか。
とにかく昨日は、彼女と彼女周囲から目が離せませんでした。
La Sourceでは、”自然の驚異”は感じられませんでした。
ナイラをはじめ妖精達は、ウィリ達のようにジェミルをいじめたりはしません。
(ヌレッダのこともいじめていません。きれいなナイラの方に心変わりして、カーンが勝手にヌレッダを追い出しただけです。)
むしろ、”妖精”ナイラもザエルも、”人間”ジェミルの命を救い、助けてくれます。
なのに”人間”ジェミルは、「ヌレッダと結ばれたい」という”自分の欲望”のため、「タリスマンを使って欲しい(それがナイラやザエルや泉の死を意味するものだとしても)」とナイラに言います。
自然にとっての脅威は、私達”人間の自分勝手な欲望”だと、バールは伝えたいのだと思っています。
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mutsumi
Inscrit le: 27 Oct 2011 Messages: 39
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Posté le: Mar Nov 08, 2011 12:17 am Sujet du message: |
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La Sourceも最終週に突入しました。
が、本日ザエルは、エマンでなくカルボネが踊りました・・・
オペラ座公式サイトにキャストの変更はまだ反映されていません。
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mutsumi
Inscrit le: 27 Oct 2011 Messages: 39
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Posté le: Mar Nov 08, 2011 2:09 am Sujet du message: |
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日付変わって昨日は、ザエルをカルボネが踊った以外は、フィルム撮りと同じ第一キャスト。
フィルム撮りも終わり、休み明け、サンドリヨンとオネーギンのリハーサルも始まっており、コンクールも目前、少しミスが目につきました。
そのような中でも、パリエロの演技が日に日に明確になり、その時その時のナイラの気持ちが少し離れた席からでも分るようになってきたのは、喜ばしいことと感じました。
第一キャストは残すところあと1回となりました。
コールドの皆さんもどうか怪我には気をつけて、無事コンクールは乗り切って、公演最終日まで頑張ってほしいです。
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chien en peluche
Inscrit le: 29 Oct 2011 Messages: 1884
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Posté le: Mar Nov 08, 2011 5:51 pm Sujet du message: |
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[mutsumi a ecrit]:「La Sourceでは、”自然の驚異”は感じられませんでした。
ナイラをはじめ妖精達は、ウィリ達のようにジェミルをいじめたりはしません。
(ヌレッダのこともいじめていません。きれいなナイラの方に心変わりして、カーンが勝手にヌレッダを追い出しただけです。)
むしろ、”妖精”ナイラもザエルも、”人間”ジェミルの命を救い、助けてくれます。
なのに”人間”ジェミルは、「ヌレッダと結ばれたい」という”自分の欲望”のため、「タリスマンを使って欲しい(それがナイラやザエルや泉の死を意味するものだとしても)」とナイラに言います。
自然にとっての脅威は、私達”人間の自分勝手な欲望”だと、バールは伝えたいのだと思っています。」
「私達“人間の自分勝手な欲望”が自然にとっての驚異となる」、と言うバールが込めたメッセージは、今、この時代特有の考えだろうか、と、この前から、考えています。
通り一遍の知識しかありませんが、ロマン主義バレエの全盛期が過ぎ、いくらか陰りが見え始めた頃、La Sourceが初演された訳(1866年)ですが、その数年後、普仏戦争が勃発します。フランス革命で、それまでの政治体制が根本から覆され、政変が繰り返され、他方、コレラの流行も幾度となく、人々を脅かします。教会の権威も以前ほどではなく、信仰心と言うよりどころを失った人々にとって、「自然」は、やはり、人間にとっては、「超え難い驚異」として、存在していたとは思います。されど、人間のさまざまな欲望は渦巻いてはいましたが、それは、逆に、社会を進歩させるエネルギーともなっていたようです。また、ダーウィンの『進化論』が発表されたのが1859年。混沌とした社会情勢の中でも、人々は、まだ、人類の進歩と未来に大きな希望を持っていたと思います。
折角、Mizukoさんが、当時の台本を添付して下さっているので、読んでみたいのですが、なかなか時間が取れません。
ところで、La Sourceについて調べようと、Ivor Guest, Le Ballet de l'Opera de Paris (Flammarion)を読んでいて、ちょっとした発見をしました。勿論、ご存じの方は、ご存じなのでしょうが、19世紀初頭にLa Dansomanieと言うバレエが存在したのですね。バレエ狂の父親が、彼の情熱を理解しない男には娘はやれない、と言う、喜劇などにはよくあるパターンですが、1800年~1826年の間に245回の上演回数を数えています。一方、La Sourceは、上演回数100回以上の演目の中には、入っていませんでした。その後、Coppeliaが大当たりをしたので、忘れられてしまったのでしょうか?
DVD化は、楽しみですが、出来るものなら、ウルド=ブラームの「ナイラ」が見てみたいです。
Concours de promotionについては、ダンサーの皆さんのご健闘をお祈りするばかりです。(いつものことですが)当日も、晩には、公演が入っていますから、怪我なく、それぞれ、実力を発揮出来ることをお祈りしています。
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